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現在41歳(1つ歳をとりました)    chikoの不妊治療記録。       夢クリニックで体外受精に挑戦。   <2009年1月に卒業しました>


by chiko2008
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4月から

あらためて日記をつけ始めました。

『40歳の不妊治療日記』は、家族や以前から付き合いのある友人に
見せることはありませんでしたが、
ネットで見つけてくださったたくさんの方からコメントをいただき、
私のとても大切な日記になりました。

ありがとうございます。

新しい日記は、出張でしばらく離れて暮らすことになった夫へ、
東京の様子を知らせるつもりで始めました。

だから、何か情報を発信したりコミュニケーションするブログではなく、
それこそ机上の日記帳の延長・・・みたいな内容になりますが、
よければ覗いてみてください。

『4月のうさぎ』


★このブログのコメントは、お休みさせていただきます 09・7・28★
# by chiko2008 | 2009-04-02 12:45 | ⑪それからのこと
今週、妊娠20週目に入りました。

私が羊水検査を受けたのは、17週のことでした。

高齢出産の妊婦さんでも、この検査を受ける人は少数派のようです。
私も、もしもお腹の赤ちゃんに「胎児頸部浮腫」が見つからなければ、
おそらく羊水検査は受けなかったと思います。
浮腫みの厚さに寄って、ダウン症など染色体異常の可能性が
推定されると言われています。

私の赤ちゃんの浮腫みは、2人の医師に
「羊水検査を受けた方がいい」と言われる厚さでした。

羊水検査については、いろんな意見があると思います。
その焦点は、検査の結果、染色体に異常があると分かった場合、
お腹の赤ちゃんをどうするのか?ということでしょう。

産まない・・・という選択をされた方も、もちろんいらっしゃると思います。

どうするか?あるいは、どうしたらいいのか・・・?について、
私たち夫婦は何度も何度も話し合いましたが、結局、
検査前に結論を出すことはできませんでした。

もしも異常が見つかった場合、
産まない・・・?
そう想像しただけで、嗚咽をこらえきれませんでした。

羊水検査、あるいは検査結果の対応についての是非を、
私はどなたとも議論する気はありません。
悲しみも苦しみも、そして喜びさえも、当人たちのものだと思うからです。
誰かが私たちの人生に責任を取ってくれるわけではありません。

検査の日が数日後に近付いてきたとき、またいつものように
結論のでないことを堂々巡りに考えていて、フト思いました。

どうして産まないことで、悩んでいるんだろう?
どういう結果であれ、産んだっていいじゃない。

障害を持って産まれてくることが分かったら、
出産までの数ヶ月を、援助してくれる団体や施設、地域、学校などを
探す時間にあててもいいじゃないか。
障害を持つお子さんを実際に育てているお母さんたちと、
コミュニケーションをとる時間にしてもいい。

異常が見つかった場合も・・・選択はひとつじゃない。

そう思うことで、少しずつ気分が落ち着いてきました。

産む選択を視野にいれましたが・・・
どんな結果であれ産むと思うのなら、羊水検査はしなくていいんじゃないか?
とは思いませんでした。

今検査をしないということは、私にとって
問題から逃げることになるからです。
何か主張があって検査を受けない、というのではなく、
単に結果を知るのが怖くて、問題を先送りにするだけ。

これから親になろうとしているのに・・・
家族の問題から逃げてしまうわけにはいきません。

羊水検査は、1泊2日の入院で行いました。

お腹に麻酔針を刺す痛みはありましたが、
羊水を吸引するときの痛みは感じませんでした。
超音波で針を刺す位置を確認し始めてから、吸引が終了するまでの時間は
10分程度だったと思いますが、前後の検査や点滴を入れると、
2時間くらいの処置でした。

そうそう、お腹を消毒したとき、あまりにくすぐったくて、思わず
声を出して笑ってしまいました。あひゃひゃひゃ・・・って。
すごく場違いな笑い声に、先生や看護士さんも反応して笑ってくれて、
おかげでちょっとリラックスできました。

検査結果が出るまでの2週間は、わりあい落ち着いて過ごせました。
もうどんなに悩んでも、お腹の中の事実は変えようがないもの・・・。
検査を終えてからも、夫といろいろ話しましたが、
結論は、検査結果を聞いてから出すことにしました。

2週間後、病院へ夫と一緒に結果を聞きに行きました。

診察室のドアを開けた瞬間、先生の
「よかったね、検査結果は異常ないです」
という声が迎えてくれました。

もちろん、羊水検査ですべての異常が分かるわけではありません。
産まれてみなければ分からないこと、たくさんあります。
そして浮腫の原因は、つまるところ「何だか分からない」ということです。

でも、出生前にできることはやった、という思いで、
とにかくホッとしています。
あとはもう、無事に出産まで過ごせるようにと願う毎日です。

検査を受けると決めてから結果を聞くまでの数ヶ月、
夫婦で不安な時間を越えてきました。
結果には心底ホッとした反面、はしゃぐ気持ちにはなれません。

先のことが保障されたわけではありませんし、なによりも、
一度は障害のある子供を出産するかもしれないと
人生の選択肢にのせた思いを、
今はまだ「よかったね~」と明るい言葉で流してしまう気になれません。

そして私自身もまた、広い意味で身体に障害を抱えていたのではなかったか。
世間のレベルでは小さな小さな障害ですが・・・
自然に妊娠できない身体だと分かったとき、苦しい思いをしました。

でも、少しずつ前に進んできたら、
夫との結婚生活、楽しいこともたくさんありました。
生きてるといろいろある・・・ううん、生きているからこそいろいろある、と、
いつになく半生をふりかえってみたり、
いろんな思いがごっちゃになって、まだまだ整理しきれないでいます。

思いは、時間と共に変わっていくかもしれませんね。

そうそう、羊水検査の副産物で、既に赤ちゃんの性別が分かってしまいました。

7月の終わりに、私は男の子のお母さんになります。
# by chiko2008 | 2009-03-12 11:19 | ⑪それからのこと

それからのこと

“ピンクレター”の時期になりました。

夢クリニックを卒業して・・・それからのことを、少し記しておきたいと思います。

“ピンクレター”は、夢クリニックへ、妊娠中期(18週~20週)
の状況について報告する手紙のことです。
卒業時に渡されます。

報告書はアンケート用紙のようになっており、
いくつかの質問に答えるだけでOKです。

まず最初に「妊娠は継続されていますか?」という質問があり・・・
夢を卒業した直後の私は、この質問をとても重く感じていました。

卒業間際に胎児浮腫が見つかり、院長先生からは
「もしも浮腫みが全身にまわれば、胎児は心拍を止めることもある。
 そうでなくても、羊水検査はした方がいい」
と言われていました。

心拍を止めることもある・・・

そんな。

怖くなって、卒業直後に私は、ピンクレターもブルーレター(出産を報告する手紙)も、
看護士さんから頂いたお祝いのカードさえも、
全部目につかない場所にしまいこんでいました。

それから2ヶ月が経ち、季節は変わり目を迎えました。

数日前、私はピンクレターを、しまった場所から出してきました。

最初の「妊娠は継続されていますか?」
という質問の答は、「はい」です。

妊娠は継続しています。
今は19週が終わろうとしています。

でも、転院した病院での診察は、決して順調なものではありませんでした。


まずは体調のことを、残しておきたいと思います。

つわりは17~18週頃までありました。
と言っても、霧が晴れたように体調がスッキリしたわけではありません。
今でも午前中はあまり食欲がなく、朝食を食べられない日が多いです。

つわりの症状や終わる時期は人によると思いますが、
私の場合は一進一退しながら、だんだん軽くなってきました。

「つわりはいつかは終わる」とは言いますが・・・
症状が重いときは、とても終わるとは思えなくて、
この苦しさが永遠に続くようにも思えて、
恥ずかしながら子供のように泣いてしまったことも。

浮腫の不安とつわりの苦しさで、
妊娠生活を楽しむ余裕は全然ありませんでした。
ただ、ただ時間が過ぎていく毎日でした。

新しい病院での診察が始まったのは、夢を卒業してから
ちょうど1週間後のことでした。

つわりが重くて、通院自体とても負担に感じていましたが、
行かないわけにはいきません。
這うように(モチロン実際は這いませんケド・・・)通いました。

赤ちゃんの浮腫は、大きくも小さくもならず、そのまま残っていました。
胎児浮腫について、夢で院長先生に言われたような説明を一通り受けた後、
新しい先生にも「羊水検査をした方がいい」と言われました。

それでも、浮腫みが頸部から赤ちゃんの全身にまわることは避けられたようで、
超音波で見る赤ちゃんは、しっかり心拍を打ち続けていました。

羊水検査については・・・
転院前に夫婦で話し合って、受けることにほぼ決めていました。

でも、実際受けるとなると、私たち夫婦は
とても重い問題と正面から向き合うことになりました。
# by chiko2008 | 2009-03-07 21:16 | ⑪それからのこと
2009年1月10日(土) <11W5日>

昨日、夢クリニックを卒業しました。

院長先生に、転院先への紹介状を書いていただき、
その後看護士さんからピンクレターとブルーレター、
そしてメッセージカードを頂きました。

ピンクレターは18W~20Wの妊娠経過を、ブルーレターは出産結果を
クリニックにお知らせする手紙です。

果たして・・・私はブルーレターを出すことができるだろうか?

この卒業は、私にとっては新たな挑戦になりました。

心配していた「胎児頸部浮腫」が、昨日の診察で、
小さくなるどころか大きくなっていたのです。

院長先生からは、今後はやはり羊水検査を含め、経過をしっかり見て・・・という
アドバイスをいただきました。
紹介状は、目の前で、超音波の画像数枚を含め、
浮腫の経過を詳しく書いたものを作っていただきました。

出産までいけるかどうかを質問すると、明言されませんでした。
「それよりも、まずは経過を・・・」そんなような答だったと思います。

診察室で小さくため息をついたら、私なりに覚悟を決めました。

これが私の人生なんだな、と。

また挑戦してみよう。

自分の力の及ばないことだけど、それでも「挑戦」と思わずにはいられません。

でも、もしも・・・よくない結果になったとしても、
それですべてがダメになってしまうような人生であってはならない、
と固く決心しました。

夫は、今回のことでもことさら動揺した様子は見せませんでした。
でも心の中は、大きく大きく波打っているはず・・・。

仕事を辞めて治療に専念してきたこの数年間、
時にはストレスで苛立つ私を、文句ひとつ言わずに支え続けてくれた夫。
そんな治療生活を振り返って思いました、
これからは私も夫の支えにならないと!

「今もお腹の中で、赤ちゃんはがんばってくれてますよ!」

大きくなった浮腫の不安を抱えて卒業していく私を、
看護士さんはそう言って送り出してくれました。

「おめでとう!」とは言えない卒業ですが・・・
そんな卒業でも私の転機になってくれた、と思います。

また一つ、人生の区切りが付いた。
来週から、新しい病院でがんばらなくちゃ。
赤ちゃんもがんばってる・・・!

でも、ちょっと不安なのは・・・
妊娠したことを周りにどう伝えるか?ということです。

以前は夫と「卒業できたら妊娠したことを言おうね」と相談してましたが、
まだ親にも言ってません。

言ったら、きっと「おめでとう!」とまず最初に言われるハズ。
こちらは、おめでたい!と手放しに喜んでいる状態じゃないので・・・
その温度差がつらい・・・と思ってました。

まずは妊娠したと報告して、間髪入れずに、
「でも実は経過がよくなくて、
 おめでとうって言うのは無事に産まれてからにしてね」
と付け足しておこうか、などと夫と話しています。

そんなこと言うのも憂鬱だなぁ・・・なんて思ってたんです、最初は。

それに、もしものことがあったら、
会う人ごとに結果を報告しなきゃいけないの!?とか、
同情されたくないよ、とか、いろいろ考えて・・・。

でも、それを憂鬱だと思うと、自分の人生が憂鬱だと否定しているように思えて、
どんな経過でも結果でも堂々としてよう、ちゃんと親しい人に伝えよう、
と今は考えてます。


わたしたちの赤ちゃんは「彼」なの「彼女」なの?
どちらに似ているの?
血液型は?
何が得意な子なの?
声は?

その答を、私たちが知る日が来るのかどうか、それは今分かりません。
絶対大丈夫だと信じてます・・・と言えばいいのかもしれませんが、

今はまず、負けたくない、

そんな気持ち。


不妊治療についての日記は、これで区切りになります。

移植後は、安静指示や身体の不調の為、お返事を書けそうになくて、
ずっとブログのコメント欄を閉じていました。
でも、それまでいただいたメッセージは、治療生活を続ける大きな力になりました。

数人の方とお会いすることもできました。

ブログに温かい言葉を寄せていただき、ほんとうにありがとうございました。

2009年が、皆様にとっても素晴らしい1年でありますように!
心よりお祈りしています。
# by chiko2008 | 2009-01-10 18:08 | ⑩夢クリニック卒業
2009年1月5日(月) <BT58日目>

久々の更新です。

9Wを過ぎた頃から、つわりが更にひどくなって、
安静指示とは別の意味で、ほぼ1日寝たきりでした。

クリスマスも年末も正月もなく、ベッドにじっと横たわったまま、
暦は2008年から2009年に変わってしまいました!

症状は少しずつ楽になってきているようですが、(そう思いたい!)
まだ家事に復帰できそうにありません。外出も怖いです。

そして・・・
もうかれこれ11Wに入らんとしているのに、まだクリニックを卒業していません。

前回の診察で卒業するかも・・・と思っていましたが、
胎児の“頚部のむくみ”が見つかりました。

「胎児頸部浮腫」

これは、循環のアンバランスによって首の後ろに生じる皮下浮腫なんですが、
浮腫みの厚さにより、ダウン症など染色体異常の可能性が推定される・・・
とも言われています。

そのことは、院長先生からもはっきり指摘されました。

仮に、浮腫みの厚さにより、
グリーン(安全)ゾーン ・ イエロー(要注意)ゾーン ・ レッド(警告)ゾーン
という分け方があるとすれば、私の場合はイエローゾーンに入るようです。

院長先生の診察は以下の通りでした。


    浮腫みの見極めは、11~12週くらいにする。
    経過を見届けてから、紹介状を書く。

    次の診察で浮腫みが小さくなっていればいいけど、
    もしも大きくなってたら・・・羊水検査はした方がいい。

    浮腫みが全身にまわって、最悪の場合、心拍が止まることもある。
    検査や検診、いろんなことを考えて、
    転院先は力のある病院を選んだ方がいい。


「どこか転院先決めてるの?」と聞かれ、「〇大学付属病院に予約を取りました」
と言うと、「うん、そこやったら、いろいろ対応できるやろ・・・」と院長先生。

「いろいろ」の中に何が入っているのか・・・?

万一の為にと思って決めた総合病院。
でも、こんなことで太鼓判をもらうつもりで選んだわけでは・・・。

ただし、「頸部浮腫」イコール「染色体異常」と決まっているわけではなく、
あくまで可能性があると指摘されているだけです。

実際、浮腫みの厚さがレッドゾーンであったとしても、
何の問題もなく生まれてくる赤ちゃんはたくさんいます。

逆に何の問題も指摘されないのに、産まれてから染色体の異常が分かることも。

しかしながら、「胎児頸部浮腫」、そして「羊水検査」という言葉は、
私の心を激しく揺さぶりました。


この診察から後に思ったことを・・・これから記しておきます。

考えは、これからの診察や時間の経過と共に変わるかもしれませんが、
この数日間考えたことを残しておきたいと思います。


胎児頸部浮腫は、30歳過ぎくらいまでの妊婦さんには、あまり見られないそうです。
ところが30代半ばを過ぎると増えて、年齢と共にリスクは高くなるようです。

年齢と共にリスクは高くなる・・・
頸部浮腫だけでなく、いろんなリスクが。

子供が欲しいと望んだときに、このことを考えなかったわけではありません。

例えば、「母親の年齢とダウン症出産の危険率」など、
若い妊婦さんと比べたときの確率の高さは、数字になってはっきり表れています。
胎児の心拍が止まるという、悲しい確率もまた然り・・・。

高齢出産のリスクを考えなかったわけではない、と思ってきたけど、
しかし、覚悟ができていたのか・・・というと、
できていなかったようです。

だから、こんなにも心が揺れる。

私は、体外受精の治療でいい卵が採れず、採卵を繰り返しました。
何度も何度も。

いい卵が採れない・・・
そのことが何を語っているのか?
治療に夢中になるあまり、考えようとしなかったのではないか?
私は不都合な将来から目をそらしていたのではないか?

その結果が、
もう超音波の写真で、頭やアンヨがわかるくらいになった赤ちゃんを、
命の危険にさらしている。

そう思うと、こみあげるものを抑えることができませんでした。

若い妊婦さんだって、もちろん多少のリスクは抱えています。
ただ、統計的にあきらかに高いリスクがあると指摘されている状況で、
それでも産みたいと願い、
夫婦の幸せの追求だと信じていた気持ちは・・・

エゴではなかったか?

その問かけを夫にもしました。

夫の答は、
「命を落とすようなことは避けられると信じている。
 そう信じてあげられるのは自分たちしかいない」

質問の答にはなっていませんが、夫らしい答にホッとしました。

浮腫が見つかった診察日の翌日から、胃がきりきりと痛みだし、
どうして?と思いつつも、
これは心の痛みなんだろうなぁ・・・なんて思いました。

移植から今日まで約2ヶ月、
先に進んでこられたことに、大きな喜びを感じています。

でも同時に、気持ちがくたくたに疲れてしまいました。つらかった。

診察の度に、赤ちゃんの成長について、問題が指摘されていました。
数値が低いとか、成長が遅いとか、心拍打ち始めるのが遅い、などなど・・・。
年齢のこともよく指摘されました。

一度も先生から「まぁ、いいでしょう」とか「標準です」というような
言葉を聞くことがなかった。

そして卒業前に「浮腫」・・・。

いつまでたっても綱渡りをしているようです。

自分では前向きにがんばってきたつもりでも、
すごい緊張感で、いつしかくたくたになっていました。

今は、一度振り返って、気持ちを立て直す時期なのかもしれません。
また前に進む力を養う時期・・・。

いろんなことを超えて、ようやく親になれるのかもしれませんね。

そして、私がいくら“くたくたになっている”としても、
今は考えがストップしてしまったとしても、
どうか、どうか夫を父親にしてください!と、
願わずにはいられません。
# by chiko2008 | 2009-01-05 17:33 | ⑨<陽性判定後>